■ 原発利権のカラクリ
2011年03月14日(月)
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政府が「計画停電」実施を宣言した翌日(3月14日)東京電力は早々と「撤回」した。明らかに混乱している。
植草一秀氏が間髪を入れず批判している。 (引用、ここから) 計画停電の発表があったが、原子力以外の発電能力をフル稼働する前提での計画になっているのかという疑問が浮上する。
もっとも限界的な発電方法は火力発電になるが、火力発電は、原油価格が高騰しているため、もっとも高コストの発電方式になる。この高コストの発電を抑制するために、計画停電するというのなら、これは許されない本末転倒ということになる。
まさか、そのような計画になってはいないと思われるが、電力供給能力の数値が1日で大幅に引き下げられたことなど、不自然な点が多いのも事実である。原子力発電所の必要性をアピールするためのデモンストレーションという側面が、万が一にもあったなら、まさに言語道断のふるまいである。ぎりぎり強制停電の措置を取らずに済む需給見通しが存在したとの疑いも払拭はできない。
また、政府が節電を呼び掛けるなら、まず、政府部門内での節電を率先して実施するべきである。記者会見の会場も照明を半分程度に落とすべきであるし、首相官邸も必要不可欠な場所以外の照明は行わないなどの対応を取るべきだ。政府が電気を使い放題に使用して節電を呼び掛けても説得力はない。
政府は、電力会社の方式別電力供給能力を明示したうえで、今回の計画停電の数値を分かりやすく説明する必要がある。計画停電であっても、市民生活に重大な悪影響を与える可能性が高い。 (引用、ここまで)
正鵠を射た批判だ。 今回の事故は電力会社にとって功罪両面がある。 「功」は「原発の重要性をアピールできた」ということ。「罪」は「原発はやはり危険だ」ということが確認されたこと。
私たち国民から見れば植草氏も指摘しているように果たして「原発」だけが電源なのか?という疑問がふつふつと生じている。
代替エネルギーのあることを政府と電力会社は隠しているように見える。これは問題だ。
そもそも、原発は国際金融財閥(ロスチャイルド等)の利権の巣窟だ。ウラン・ビジネスは巨大な収益があるため彼らの独占なのだ。そのおこぼれを東芝、日立などの重電機会社がいただく、という構図が見て取れる。
もう一つ重要なことは「電気に頼る生活を見直すこと」だ。便利を追及したその末が電気なしの生活が成り立たなくなった、という皮肉な状況となった。
考えてみれば戦前はもちろん、戦後早々は電気を使わない生活だった。経済発展は「浪費奨励」社会を是認することだった。
今から50年前(1961年)に発売された「浪費をつくり出す人々」(ヴァンス・パッカード著、南 博、石川 弘義 訳 ダイヤモンド社)をあらためて読み直してみた。著者は半世紀前に現在の浪費社会を予言し警告している。残念ながら絶版らしい。古書の価格がなんと25,000円だが必読の書であることは間違いない。
「石油依存」と「原子力依存」をこの際、徹底的に検討すべきだ。
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