本音のコラム

■ NASAのウソを検証する 2009年07月24日(金) 
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 人類が月面に降り立ってから今年7月20日で40年だそうだ。米国では大騒ぎらしいが我が国では新聞やテレビの扱いが決して大きくない。多分、人類の月面着陸に対して日本のメディアは少なからず懐疑的なのかもしれない。ちなみに朝日新聞は7月18日夕刊と翌日の朝刊社会面、右肩に5段抜きで「アポロの『足跡』ここにあり」と小さな写真つきで紹介している。
 実は私はアポロ11号の月面着陸と宇宙飛行士の月面降り立ちはウソだと考える者の一人だ。とはいえ、一般的には圧倒的に月面着陸は歴史的事実としてジョーシキとなっている。そんなことは百も承知で私は敢えてこれに異論を唱えたい。
 まず朝日の記事(7月19日)を引用する。
「米航空宇宙局(NASA)は月面に残っている宇宙船アポロの着陸船の残骸と宇宙飛行士の足跡を、6月に打ち上げた月探査機LROが撮影できたとして、画像を17日公開した-写真NASA提供。
 帰還のための発射台となった台座で、月面に着いた6機のうち5機分を公開。機体の形ははっきりわからないが、機体の影が写っている。足跡は14号の飛行士のもので、引きずって歩いたような線状の跡が残っている。」
 いかにも怪しい話ではないか。この写真は地上からのものではなくつい最近打ち上げられた探査機から撮影されたものだという。つまり距離が短縮されている、ということだ。しかも40年前とは異なりカメラの技術はそれこそ“日進月歩”のはずだから鮮明に写るはずだが、この写真を見る限りピンボケもいいところではないか。これをもってして「機体とその影」と断定するのはいかがなものか。
 月面に降り立った飛行士の数は12人だそうだ。月面着陸は11号から17号まで(1969年~1972年)合計7回成功したことになっている。
 月面着陸の真意についてここでは深入りを避ける。ただし、どう考えても怪しいことがある。飛行士の21人のうちすでに6人が他界している、という事実だ。もっと詳しく言うと月面着陸があったとされる1969年以前の1964年から1967年までのわずか3年間に10人の飛行士が亡くなっている。
 アポロ計画に疑問を唱える人たちがなぜか不慮の事故で命を落としているのだ。米国が最初に選んだ7人の宇宙飛行士の一人、ガス・グリムソンはアポロ11号が月面に着陸する2年前に亡くなった。アポロ1号に乗り込んで訓練を行っていたところ、機内に火災が発生。焼死。火災事故そのものが果たして不慮の事故なのかが疑わしい。実はガスはアポロ計画について批判的だった。「このままでは(飛行士の)誰かが犠牲になる」と家族に話していたという。家族はガスが決定的なことを知っていたため、事故を装って殺されたのではないか、と考えている。「アポロ計画では、月面に着陸するのは困難である」と米国議会で証言したアポロの建設安全検査士、トーマス・ロナルド・バロンはその理由を500ページにわたる報告書にまとめ上げて提出。議会の証言から1週間後、家族とともにクルマを運転中に電車と接触事故を起こし、家族全員即死。貴重な報告書がなぜか行方不明になった。
 アポロ11号からの映像を収録したオリジナルのテープがなぜか紛失し、撮影したカメラが月面に残されていた、というニュースは以前、NASA当局から発表されたので記憶している方も多いと思う。紛失したりカメラを月面に置き忘れるということは決してあってはいけないことだ。どう考えてもNASAの一連の動きはおかしい。知られては困る事実の証拠隠滅の疑いが限りなく濃い。
 もしかするとNASAは月面にナスカの地上絵を発見した、などとパロディーも顔負けのジョークを飛ばすかもしれない。

★参考文献
「アポロってほんとうに月に行ったの?」朝日新聞社
「人類の月面着陸は無かったろう論」副島隆彦著 徳間書店
「アポロは月に行ったのか?」雷韻出版
「人類の月面着陸はあったんだ論」楽工社


■ バカバカしいほど盛大な追悼イベント 2009年07月09日(木) 
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 石原裕次郎がこの世を去ってはや22年だそうだ。50代前半での他界は美空ひばりと同様、多くのファンに惜しまれた死だった。その裕次郎の二十三回忌法要が今夏7月5日、“盛大”に行われた。わざわざ盛大に“”をつけたのには意味がある。敢えて言うなら“バカバカしいほど盛大に”と言い換えた方がいいかもしれない。私のワイフは若い頃、裕次郎ファンだったがさすがにイベント化した法要には「ついていけない」、とテレビのニュースを見ながら吐き捨てるようにつぶやいた。ネットで検索すると批判の声は驚くほど少ない。恐らく誰かが監視して削除しているのだろう、と思わざるを得ない。
 さて、今回の法要にかこつけて石原プロの売り込みは相当なものがあった、と想像できる。いや、もしかするとこれは真逆でテレビ朝日が石原プロに持ちかけたのかもしれない。いずれにしてもテレビ朝日の力の入れようは尋常ではない。二十三回忌特別企画としてまず初めに「裕次郎が遺したもの」~スーパースター伝説~と題したドキュメンタリー番組を7月4日(土)のゴールデンタイムに放送。さらに追い打ちをかけて同日、夜9時から「富士山頂」という映画を放送。そして、翌日、日曜日の午後3時30分から2時間という長時間を割いて国立競技場で行われた法要の独占生中継を行った。わがワイフが不快に思ったのは紛れもなく、この“バカバカしいほど盛大”な法要イベントのことだ。
 菩提寺の総持寺で10年前に行った十三回忌の時は20万人のファンが集まり混乱したという。そこで主催者の石原プロが、一般向けの法要は今回が最後ということで型破りなものでファンに忍んで貰おう、ということになったのだという。型破りはいいが菩提寺のレブリカを建てたり130人あまりの僧侶を集結させてまでやる必要があるのか、というギモンはぬぐいさることができない。しかも総経費は20億円を超えるというからオドロキだ。石原プロに言わせれば「アンタに迷惑かけてるわけじゃないし、いちいち文句言われる筋合いはない」ということだろうが私に言わせれば、たった半日足らずのイベントに巨額の費用を投入するくらいならファンから募金を募ってそのおカネを恵まれない人々に寄付するとか有効な使い方が考えられたはず。これこそが国民栄誉賞を国から与えられたスターの本懐であるはずだ。
 今回の法要イベントが都議選のタイミングに合わせて行われたことは石原慎太郎都知事のイメージアップを狙ったのでは?というあらぬ詮索を呼ぶもとにもなっている。知事にしてみれば「弟の法要と都議選とはまったく無関係」と否定するに決まっている。噂によれば総選挙で自民党大敗のあと、野党への下野を嫌った息子の伸晃議員が父親の後釜として都知事のポストを狙っているらしい。まさに知事の座まで世襲制になりかねない。
 ところでマイケル・ジャクソンの突然の死を悼みロサンゼルスで追悼イベントが開かれた。こちらはダウンタウンにあるアリーナでだ。スティービー・ワンダーやマライア・キャリーなどの大物シンガーらが参加したが恐らく出演料はもらっていないだろう。総費用は400万ドル(約3億8000万円)だそうだが、この程度ならリーゾナブルだと思う。死後22年の裕次郎のイベントに対してマイケルの「告別式」は死後間もないものなのだ。宗教の違いがあるとはいえ22年後にマイケルの追悼イベントが裕次郎と同じような巨額の予算を割いてまで行うだろうか? 現在11歳の長女のパリスちゃんが33歳になっている22年後にもし、“バカバカしいほど盛大”なイベントの企画が持ち上がったら「どうか、そっとしておいてほしい」と言い、きっぱりと「NO!」と言うだろう。人間の死の尊厳とはまさにこういうことであり、“バカバカしいほど盛大”なイベントでカラ騒ぎすることではない。


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