本音のコラム

■ 清原が乱闘予告! 2006年04月23日(日) 
kiyohara.jpg 150×202 31K
 あの辻本清美じゃないけれど清原は「死球のデパート」だ。死球の数は他を寄せ付けないほどだが、これって偉業なんだろーか。
 その清原がまたまた死球を受けて退場した。軽傷で早くもバッティング練習を始めた清原はテレビのインタビューに答えている。「あの日はヨメさんの誕生日とチビ(息子)が見に来ていた。一打席目からああいうことがあった。18年間,がまんしてきた…」「いろんな人の非難や制裁よりも守るべきものを守らなきゃいけない。これからは(投手が)故意にしろ、そうじゃないにしろ命をかけてマウンドへ走って行き、そいつ(投手)を倒したいと思う」。
 家族が観戦している前での死球退場が悔しかったのは分かるが、あの死球は避けられなかったのか?というギモンは残る。案の定、江川卓が23日(日)朝の番組で相棒の司会者、徳光さんの「投手は許せない」発言にあえて「清原選手はもっと避け方を上手くならなければ」と反論していたし張本さんも同様のコメントを発していた。
 清原の「故意じゃなくとも倒しに行く」発言はメチャクチャだ。たとえ、ぶつける気がなくとも許さん、と言うのだ。だったら投手強襲の打球を打つ打者も許されないことになるんじゃないのか。体当たり宣言の清原は引退後、K-1選手として曙と対戦したらいい。
 ところで安打製造機として多くの記録を残した前述の張本元巨人外野手は危険球を数えきれないほど受けたが投手を殴り倒すような暴挙に出た事は一度もない、と語っていた。松井やイチローも同じだ。これが超一流なのだ。清原は素晴らしい選手だが残念ながら”一流止まり”と言わざるをえない。
 強面の清原が野球評論家に変身した元木のインタビューに答えていたが、仲のいい元同僚ということもあってかなかなかいい感じだった。
 「ホームラン、打ちましたね」と元木が話しかけると「ヨメさんが誕生日だったので100万円のダイヤモンドよりホームランをプレゼントするほうがええやないか」と清原が答えると間髪を入れずに「ダイヤモンド一周の方がいいよね」と元木が冗談を飛ばした。「そうそう、そのジョーク、いけてるじゃん」と清原が笑った。白いものが目立つ髭の清原だが少年のような笑顔がさわやかだった。これこそが清等の実像なのだろうが清原自身は「コワモテ」をブランドにしてきた手前、心優しい清原を極力見せないように無理してきたようだ。清原よ、そんなに無理しなさんな。選手生活もそう長くはないのだから死球をくらったら「年とったんでとっさに避けられないんや。あまり年寄りをいじめるなよ」とヘラヘラしながら語れば国民死球栄誉賞は間違いないはず。

★オリックスの清原和博内野手(38)が21日、死球には暴力行為で報復するという“暴行予告”を行った。20日の日本ハム6回戦(東京ドーム)で左手に死球を受けた同内野手は精密検査の結果、骨折こそしていなかったものの、今後は「守るべきものを命をかけて守りたいと思う」として、再び死球を受けた場合「マウンドに走っていき、そいつを倒したい」と報復暴行を予告。前代未聞の威嚇発言に、球界では早くも非難が続出した。(sanspo.comサンスポ 2006年04月22日 更新 写真も)




■ パロディーの醍醐味って、何ですか? 2006年04月19日(水) 
grp0419222145.jpg 300×300 56K
パロディスト マッド・アマノ
インタビュア 田畑 豊(東京新聞政治部記者)

パロディーの醍醐味って、何ですか?

 今年の政界は、実ににぎやかです。前半の主役はメール問題で、国民の視線をクギづけに。今後は9月の自民党総裁選に向け、ポスト小泉争いの話題が徐々に増えるはずですが、権力側から「一本」取ろうとするパロディストにとっては「おいしい季節」なのかもしれません。今回はマッド・アマノさんと政治とパロディーについて考えました。

「怒り」+「嘲笑」で 権力やっつける 市民こその武器

 田畑 権力をテーマにしたパロディーって、見る側を笑わせ、からかわれた権力の側をカッカさせるというの特徴ですよね。その基本は批判精神で、そういう意味では、新聞記者もパロディストも同じ土俵の上にいると思いますが、マッドさんが定義するパロディーとは何ですか。

 マッド 権力に対する批判を底辺とした笑い。それがパロディーですが、ただ批判するのではなく、そこに怒りと嘲笑の味付けが必要ですね。怒りだけでもダメ。嘲笑だけでもダメ。怒りというエネルギーは必要だが、そのエネルギーだけでは相手に伝わらない。まんじゅうで例えれば、あんこの部分は怒りの要素で、その周りを嘲笑のトッピングで包み込むような感じ。両方ミックスしたものが力になり、まさに権力を茶化す一つの表現手段として、大変有効な武器だと思う。

 田畑 この道に入ろうと思ったきっかけは。

 マッド 1969年ごろですか、ちょうどベトナム戦争の真ん中で権力の横暴がひどくなってきた時代。日本は戦争特需でいい思いをし、私も大手企業でぬくぬくと宣伝の仕事をやっていましたが、一方で、公害による環境破壊の問題なども出てきて、こんなことでいいのかなあと。で、私の気持ちの中で権力というものを何とか揶揄したい、皮肉ってやりたいという気持ちが沸いてきました。

 田畑 私も写真週刊誌「FOCUS」(休刊)の巻末で、マッドさんのパロディー作品をよくみていましたが、パロディーつくりのおもしろさって何ですか。

 マッド 世の中には不条理があふれています。人間が織りなす現象もろもろには、理不尽なものが多い。でも、世の中では、それが理不尽とは思われない。そこに目をつけることができたとき、自分としては「見つけたぞ」という気持ちになります。みんなが同じように思っていることを、ただ代弁するのではちっともおもしろくないでしょ。
 ウラを取った情報、取らない情報も含めて、火のない所に煙は立たないっていうけど、世の中のよどんだ空気をかき混ぜて、先に煙を立ててみる。そういう刺激が必要です。その刺激によって、パロディストである私はみんなに発想の転換を促す。これをやりたい。

 田畑 パロディーの大変なところは、当たり障りのないネタでは受けない点ですよね。どうしても、内容が際どいものにならざるを得ず、そのさじ加減も難しいと思いますが。

 マッド そうですね、際どさがね。ただ、相手は権力者だから。政治家は公的な存在ですからあらゆる表現で批判されることを甘んじて受けなければなりません。私のウェブサイトには読者から「留飲が下がる」「やったぜという気分にさせてくれる」「まじめに批判するよりも効果がある」といった声がたくさん届きます。非力な市民たちが権力の側を「なんだあいつ」と見下し嘲り笑う。それによって、権力者が足元からすくわれるのが醍醐味ですね。

 田畑 パロディストの目からすると、最近の世評は描きやすい?

 マッド 小泉首相は世論づくり、つまり空気のつくり方がうまいですよね。小泉劇場は派手なパフォーマンスで大入り満員。例えば、ホリエモンの衆院選出馬と逮捕のどんでん返し。現実がパロディーになってしまっているから、こちらもその上を行く強烈なパロディーを作らねばなりません。

 田畑 民主党の菅直人代表代行はかつて「小泉(純一郎)首相は天才的な催眠術師だ」なんて言ってましたが。

 マッド 私は国民に向けて「目を覚ませ」「怒れ」「茶化せ」と喝を入れるんですが、小泉劇場が面白いからそのままニヤニヤして批判精神をなくしています。偽メール問題で民主党は大失敗したけど、小泉首相もブッシュ米大統領の(大量破壊兵器の)ガセネタに引っかかって、イラクに自衛隊を派遣した。その責任は民主党の百万倍だと、なぜ前原さんは突っ込まなかったのか。もし突いていたら空気は明らかに変わっていた。

 田畑 小泉構造改革の影の部分として、強者と弱者の固定化が指摘されています。パロディストとして腕が鳴る時では。

 マッド 弱者があまりにも力がなくなって、なすすべがありません。民主主義は市民が何でも言える社会のはずだけど、とんでもない。ますますそういう手段がもぎ取られ、圧迫されていく。個人の情報は権力の側に取られ、権力の側が持っている情報は共有できない。楽観を許さない状況です。
 さあどうするか。権力が国民に対して(マヤカシの政策の)手りゅう弾を投げたとします。そのカーキ色の手りゅう弾をキャッチしてピンクに塗り替えて投げ返す。権力の側が化粧品かな?と見間違えてキャッチしたときにドカーンと爆発する。つまり、ピンクに塗り替える”目くらまし”表現がパロディーなんです。マヤカシの政治を暴露するときにこそパロディストの出番です。

 田畑 ところで、権力の側に自分の作品をどうみてほしいと。

 マッド 変に物わかりがいいというのも困りますね。権力者がそれを笑い飛ばすしたたかさが出たら、ヤバイ。仮に小泉首相から「パロディーユーモア総理大臣賞」なんてものを授与されたら、パロディストとして失格です。やっぱり、「この野郎!」って、むかついてもらわないとアカンのです。

★東京新聞[政治特集]即興政治論 2006年4月18日(火)


■ Newswink創刊! 2006年04月15日(土) 
newswink.jpg 500×500 78K
  国民をバカにする雑誌「Newswink」が4月1日に創刊され、早くも2週間が経った。「日本を変える」どころか「日本を米国に売った男」として後世に残る首相・小泉鈍(ドン)一郎の特集が大好評。創刊と同時に品切れとなる始末。首相官邸が買い占めた、との噂しきり。
  小沢一郎の登場にあわてた小泉首相はポスト小泉の人選を余儀なくされている。安倍晋三ではいかにも"若造"だし、さりとて福田では"小粒"だ。麻生に至っては人気がまったくない。某占い師によれば「前原も同じだが口元が斜めに歪んでいるのは顔相がよくない」という。
  自民党は果たして来年の参院選に勝てるのか疑問だが、奥の手があるらしい。比例代表候補としてあの細木数子に密かに打診している、という噂が流れている。当選の暁に細木首相の誕生を実現させる、という筋書きだ。それまでのつなぎとして小泉続投も視野に入ってきた。



■ イチロー選手の”屈辱”発言について 2006年04月13日(木) 
 作家の星野智幸氏がさきのWBCでのイチロー選手の”屈辱”発言は「韓国チームへの侮辱だ」と批判した。私は「そんなことはないだろー」と反論したい。
 その独自の文体と社会性により、純文学作家として独自の地歩を固めつつあり、今後の活躍が期待される作家の一人、と言われている星野智幸氏(41歳)がイチロー選手を厳しく批判している。しかし、どう見ても、その批判は的外れとしか言いようがないので私はあえてイチロー選手を擁護しようと思う。
 星野氏は東京新聞夕刊(2006年4月3日)CULTURE面に「差別はなかったか___ WBCがまとう暗いナショナリズム」と題してワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の二次リーグで韓国に連敗を喫した後のイチロー選手のコメント、「ぼくの野球人生の中で最も屈辱的な日です」に対して次のように批判する。
「『屈辱』という言葉は、ライバル意識や『悔しい』という自分の内面を示すだけでなく、相手から不当な辱めを受けたという敵意も含む。私はここに、相手を蔑むニュアンスを感じずにはいられない」
 さてさて、読者の皆さんはどう感じただろうか。私はイチロー選手が「屈辱」と感じたことは決して韓国チームへの”敵意”ではないと思う。ましてや”韓国チーム”を侮辱する意図はなかったと推察する。イチロー選手の本意は多分、こういうことなのだと思う。
 「韓国チームは日本チームより格下だ。もし、その格下のチームに3度も連敗するならメジャー・リーガーのプライドが許さない」
 断っておくが「格下」と判断したことが「見下した」とか「バカにした」ことにはならない。勝負の世界では相手の戦力を冷静に分析することは当たり前のことだから。(たとえば韓国高校野球の大会に参加する数はわずか50校。全国3000以上から勝ち上がってくる日本の高校野球とは比べ物にならないほど底辺は狭い)
 星野氏はさらにイチロー選手と小泉首相は似ている、と指摘する。「闘志と感情をむきだしに己を鼓舞し、仮想敵を作り、勝利ののちは自画自賛する。優勝後に至るまでイチロー選手の口から聞かれたのは、日本代表や野球のすばらしさを自ら讃える言葉ばかりだった」
 おいおい、ちょっと待っていただきたい。小泉首相は私も許せないがイチロー選手のどこが悪いのか。プロスポーツ選手なら誰もが同じ事を考え実行するはず。事実、日本代表の野球は素晴らしかった。しかも、イチロー選手はチームを讃えていた。
 星野氏は続ける。「韓国という隣人の感情を想像しようとはしないデリカシーの欠如においても、両者はそっくりである」と無理矢理、小泉首相と比較する。勢いに乗った星野氏は「これは私の勝手な考えだが」と断りつつ「こじれる一方である首相の靖国神社参拝問題などによって、日本人の間には韓国を疎ましく思う気持ちが強まっており、WBCでのイチロー選手の発言はその傾向にみごとに合致した、ということではないだろうか」と唐突にも靖国参拝問題を引き合いに出す。さらに「極端に言うと、イチロー選手の発言は、靖国参拝という国内事情にガダガタ口を挟む韓国への恫喝として、日本の視聴者の賛同を得たかのように、私の目には写りもしたのである」と。
 イチロー選手の「屈辱」発言が「恫喝」なんだそうだ。視聴者はそんなに単純じゃありませんよ、星野さん。いや、それよりもイチロー選手に対して失礼じゃないですか。あなたの話の進め方はどう見てもコジツケにしか過ぎない、と感じるのは決して私だけではないはず。
 イチロー選手は韓国チーム以外の格下のチーム、例えば失礼だが台湾チームであっても「三連敗は許されない」と語ったに違いないのであります。
 ちなみに韓国チームのメジャー・リーガー選手の中にドーピングの疑いのある選手がいたらしいことを付け加えておきます。もっと言えば韓国チームは”優勝より日本叩きを主眼”にしたとしか考えられない投手采配をしてきた、と専門家が評しています。つまり次の試合をほとんど無視して初回から押さえの切り札を投入したという。
 最後にくどいがもう一度敢えて言おう。
「イチロー選手は韓国チームを侮辱していない」と。
 もし、それでも疑うならシーズン終了後に星野氏はイチロー選手に直接、問い質してみるべきだと思う。
  スポーツライターの藤島大氏は東京新聞(4月11日 夕刊)イブニングスポーツの「スポーツが呼んでいる」のコラムで「イチロー選手の屈辱発言は許される」とイチローを擁護し星野氏の主張に異論をはさんでいる。

★星野智幸氏の略歴
1965年、米カリフォルニア州ロサンゼルス生まれ。早稲田大学第一文学部卒。新聞記者を経てメキシコに2回留学。主にスペイン語の翻訳業やフリーライターとして活動。数々の文学賞を受賞し注目される作家の一人。
第34回文藝賞(1997年)「最後の吐息」、第13回三島由紀夫賞(2000年)「目覚めよと人魚は歌う」、第25回野間文芸新人賞(2003年)「ファンタジスタ」。


■ 琴線に触れない前原さんの話し方 2006年04月12日(水) 
「永田さんの議員辞職はやむを得ない事だった」と前原民主党前代表が朝日ニュースター(スカパー!)「ニュースの深層」(4月11日深夜放送)で語っていたけれど、だったらアンタの責任はどーなんだ、と思わず突っ込みを入れたくなった。対談相手のジャーナリスト、上杉隆氏も言っていたように「永田氏は法を犯したわけでもないのだから辞職する必要はなかったと思うが」は私も同じ意見だ。偽メールをつかまされた失態は民主党執行部の責任なのだから永田氏を辞めさせるなら当然、前原氏も議員バッジをはずすべきだった。トカゲのシッポ斬りで臭いものにフタをした民主党の体質こそが大問題。さらに「西澤氏の目的は何だったんでしょう?」という問いかけに「愉快犯か裏に大きなものがあるのかもしれない」とイミシンな発言をした。裏に大きなもの、とはいったい何なのか?自民党からの仕掛けなのかはたまた小沢氏の画策か、それは定かではない。「西澤氏を詐欺罪で訴えないのか?」に前原氏は「お金を請求していないから詐欺罪は成立しない」と答えた。ハメラレタ私たちがバカだった、と正直に吐露しろっ!とまたまた突っ込みを入れてしまった。
 それにしても前原氏の話し方はなんとも心を打たない。「私は自分のためではなく党のため、国民のみなさまのために政治をやっている」と正論をぶつのだがどこか冷めている感じでグッとくるものがない。一言で言えば「琴線に触れない」ということだ。


■ 上原投手よ、二度とひざを突くな! 2006年04月08日(土) 
uehara.jpg 104×147 31K 対中日戦(7日)の最終回に満塁サヨナラ本塁打を浴びた巨人の上原投手はマウンドで肩を落とし、ひざを突いてしばらく呆然としていた。咄嗟に考えた。もし、これが西武の松坂投手だったら?と。多分、ひざなど突かずにさっさとマウンドを降りてベンチに歩を進めただろう。一球で逆転サヨナラはたしかにショックは大きい。それは痛いほどわかる。しかし、エースはそこでショックを表してはいけない。あの野茂投手はどうだろう。メジャーで記録を残した名実ともに大投手とはいえ、たびたび痛い目にあっている。それでもマウンドでひざを突いたりはしなかった(と思う)。ここが超一流とほぼ一流の違いなんだと思う。上原投手は限りなく超一流なのだから、今後はポーカーフェースを身につけて勝ち星を重ねて欲しいと思う。

写真 東京新聞 2006.4.8


■ エープリルフール記事に引っかかった話 2006年04月05日(水) 
aprilfool.jpg 289×400 60K
いやはや、すっかりいっぱい食わされましたよ、エープリルフール記事を特集した東京新聞「こちら特報部」に。1日の当ブログに「根付かないエープリルフール」と書いた本人が引っかかってしまった。完全に一本取られましたね。
 実は本日、4日の「こちら特報部」に1日の特集の種明かしをしている。
「笑えますか?」という見出しに続いて「世界のエープリルフール報道」
とあり、さらに「欧は盛ん、英首相も俎上 米は下火『信頼ないと、冗談にならず』」とある。欧米のことはさておいて国内の評判が面白い。
 まずはリードコピーをそのまま紹介しよう。

 「こちら特報部」では、今年4月1日付2ページすべての記事を冗談で埋め尽くしたが、読者の反響は賛否真っ二つに割れた。ちなみに、欧米メディアを横目でにらむと、欧州ではかなり盛ん、米国では下火と対照的だ。今日は「今年のエープリルフール国際事情」をマジメに観察した。
 
 特集を読んでみてまず驚いたのは編集部への”お叱り”の言葉だ。

 「何を調子に乗っているんでしょうか。品格も教養もまったく感じられません。大いに反省を望みます」「真実を伝えようとする意気込みがあるのか…中国にでも本社を置いて共産党の機関紙にでも成り下がればいい」「

 品格も教養もないのは、この投稿者の方なのだが本人はまったく気づかないところがむしろ哀れだ。「共産党の機関紙」にいたっては反論する気にもならない。ちょっぴり憂鬱になったが冗談肯定派のコメントを読んで気を取り直した。

「今回はあまりにも簡単に引っかかってしまって思わず笑ってしまったので、お礼にメールをと思い、送らせていただきます」「真実味のあるユーモアと風刺にみちた創作や脚色ニュースに思わず頬がゆるみました」

 「お叱り」は男性、「励まし」は女性が圧倒的に多かったそうだが、これを見ても男の感性は貧弱だということが判る。で、1日のエープリルフール特集だが、「窓際社員が発見」という大きな見出しとともにピサの斜塔並みに何と東京タワーが傾いている写真が掲載されている。恥ずかしながら私は完全に騙された。傾きを修正する工事は費用もかかるし第一、技術的に可能性があるんだろーか、と単純に心配してしまつた。うかつだった。今、紙面をあらためて見直してみたら下の方に「お断り 今日は4月1日、エープリルフール」「本日の特報面の記事はすべてつくり話です。」とあった。いや、それより各記事の最後に「この物語はフィクションです」とわざわざ断り書きがしてあったのだ。
 賛否両論の場合はたいてい、没になるものだが来年もぜひやって欲しいと思う。ユーモアの判らないコンコンチキ人間の頭を洗脳する意味からも。
 


■ 拝啓 軍事アナリスト・小川和久様 2006年04月04日(火) 
ogawa_911.jpg 300×300 43K
 小川和久氏の著書「日本の戦争力」(アスコム)は6万部も売れているそうだが、この中に書かれている9.11事件「『9.11は対岸の火事』なのか?(158ページ)に関する内容に私は賛同しかねる。小川氏に直接、手紙を書いた。しばらくして返事をいただいた。その内容の趣旨は以下の通り。
「目下のところ反論申し上げるつもりはございません」「非常に多くの懸案を抱えており、当分の間は時間を割くことができませんこと、お許しください」
とは言え、少しだけ釈明されている。
「9.11の事件についても、少なくとも私が仕事をしてきた米国の危機管理関係者(9.11事件についてブッシュ大統領を議会で非難した元大統領補佐官のリチャード・クラーク氏や、反ブッシュの民主党員の消防士もおりました)からは、ご指摘のような話を聞いたことがないからです」
 私の指摘は「テロの犯人はアルカイダというホワイトハウス説に疑問を抱くジャーナリストや平和運動家の運動が活発化している」というものだが小川氏はそんなことは聞いたことがない、とおっしゃる。
 反論をするつもりのない小川氏にこれ以上、問いかけるのは失礼にあたるのでやめたのだが、事の重大さを思い、私は連載中だった東京新聞の「本音のコラム」に以下の文章を書いた。しかし、これについてデスクからちょっと掲載はむずかしい、といった話が出てきた。その理由は「反論の機会を与えなければならないがそれは不可能」ということ。結論は私が自主的にストップすることで掲載は見合わす事になった。そのときの原稿をここに初めて公開する。内容が一部、重複することをお断りしておく。もし、小川さんが反論されるなら私はいつでも喜んで私のサイト上で論争したいと思う。

前略・小川和久殿

 世界貿易センタービルの清掃職員として20年近く働いていたR氏は9.11の現場で爆発音を聞いている。当時、ホワイトハウスから勇敢に救助作業をしたということでブッシュ大統領が開くパーティーに招待され表彰されているのだが今やブッシュ批判の急先鋒として積極的に活動している。果たして犯人はアルカイダか?という疑問はネットの世界で蔓延している。
  そんな折り、危機管理の専門家であり軍事アナリストの小川和久氏が著書「日本の戦争力」の中で9.11事件について「一言でいえばアメリカの『油断』に尽きる」、「ハイジャックがあれだけの破壊効果をもたらしたことには、改めて驚かざるをえません」などと書いている。私は小川さんに真意を確認する手紙を書いた。早速返事をいただいた。「色々と考えさせられましたが、目下のところ当方としては反論申し上げるつもりはございません」と言いつつ「私が仕事をしてきた米国の危機管理関係者からは、ご指摘のような話を聞いたことがない」と弁解なさる。やはりここは事件究明を強制的に中止させたブッシュ政権への批判のあることも公正に紹介すべきではなかったか。多忙を理由に論戦をやんわり拒む小川さんだがもしかすると心の中では実は真犯人はホワイトハウスかも?と疑念を抱いているのではないかと思うのだが残念ながら確認のしようがない。
(引用、ここまで)

9.11事件に関しては引き続き、折に触れて書くつもりです。


■ エープリルフールが根付かない理由 2006年04月01日(土) 
 「4月1日に架空の記事を載せたら読者から抗議の声が寄せられ、それからエープリルフールは無視することにした」と某大手新聞の論説委員クラスの人から聴いたことがある。数年前の話である。その新聞以外の新聞やテレビなどでもエープリルフールにちなんだジョークを楽しむ話はほとんど見当たらない。そもそも、エープリルフールは庶民の間で許された些細なユーモアなのだろうが欧米ではメディアが茶目っ気たっぷりに記事にするものだからうっかり騙される。それでも、抗議したりはしない。
 朝日新聞(4月1日)朝刊、別刷り「be」の「between」に「テーマ:うそ、『ユーモア通じるか、不安』」と題したエープリルフールに関する記事が掲載されている。
 面白かったのは読者のモニターの中に「ただでさえ、うそと建前だけの日本。これ以上必要ない」「毎日がエーブリルフール」「せめて、4月1日くらいはうそのない日に」といった皮肉な声が寄せられていたことだ。
 それでハタと気づいたのだが前述の新聞がエープリルフールの記事を止めたのは政界にうそが多すぎるから、ということだった。
 「1億円なんかもらっていない」と大きなうそをついた(と思われる)𣘺本龍太郎氏に「エープリルフール大賞」を授与する、と民主党が発表。(これもジョークですが)。


過去ログ
2003年03月 05月 06月 07月 08月 09月 10月 11月 12月 
2004年01月 02月 03月 04月 05月 06月 07月 08月 09月 10月 11月 12月 
2005年01月 02月 03月 04月 05月 06月 07月 08月 09月 10月 11月 12月 
2006年01月 02月 03月 04月 05月 06月 07月 08月 09月 11月 12月 
2007年01月 02月 03月 04月 05月 06月 07月 08月 09月 10月 11月 12月 
2008年01月 02月 03月 04月 06月 09月 10月 11月 12月 
2009年01月 02月 03月 04月 05月 06月 07月 08月 09月 10月 12月 
2010年01月 03月 09月 10月 11月 12月 
2011年01月 02月 03月 05月 08月 
2012年09月 
Copyright Mad Amano. All rights reserved.