■ ムーア監督の限界
2010年01月18日(月)
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| 遅まきながらマイケル・ムーアの「キャピタリズム~マネーは踊る~」(原題「CAPITALISM:A LOVE STORY」)を観た。 昨年10月末から2週間限定で全国公開をスタートしていたが大ヒットを記録しており、公開中の324館のうち約7割の劇場が延長。私は日比谷の「みゆき座」に足を運んだ。1月17日、日曜日の午後2時ということも手伝って満員だった。入れ替え制のため空席は残り少なく前から4列目という近さだったがシートの背もたれが長いので頭を乗せてなかばふんぞり返るようにして観たら懸念したほど疲れなかった。
さて、本題の映画だがいつものムーア式突撃取材が見せ場なのは言うまでもないが資本主義に対してギモンを呈している点では過去に例がないものとして評価はできる。「ゴールドマン・サックスが悪の元凶」と定めているあたりは「よくぞ言った!」と褒めてやりたいところだがそれで満足はできない。ズバリ言って本当のタブーであるゴールドマン・サックスなどを陰でコントロールしている「国際金融資本」の存在には触れていないところにムーア監督の限界がある。 映画のタイトルは私なら次の3つの中から選びたい。「100年に一度のクライシス」「グリーンスパンという男」「プルトノミー」。 グリーンスパンはご存じFRB(FEDERAL RESERVE BOARD連邦準備制度理事会)の理事長に長期に渡り君臨していた男として有名。このユダヤ系アメリカ人の半生を完膚なきまでに追及することによって金融マフィアの存在が浮き彫りになる。 ムーア監督は当面の敵の『ウォール街』に定めた。たしかに、これは分かりやすいが一方で本質から目をそらすものでもある、という点で“大失策”とあえて言いたい。勿論、ムーア監督は本質が何であるかは知っているに違いない。ロックフェラーやロスチャイルドにターゲットを絞ったなら彼の命は保証の限りではないだろう。監督は今でも身辺警護のSPを配しているということを見ても頷けよう。
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