■ のりピー騒動のてん末
2009年09月18日(金)
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| 渦中の人“のりピー”こと酒井法子さん(法的には「被告」と呼ぶが私はあえて「さん」付けとする)が保釈され記者会見を開いた。報道陣の数は民主党新政権の閣僚決定を発表する鳩山首相の会見に匹敵、いやそれ以上だった。 はっきり言って、のりピー事件の報道は常軌を逸したものだ。深夜、人気のない六本木の公園で泥酔の末、素っ裸で大声を発したSMAPのメンバー、草なぎ剛くんに対する報道ぶりとほぼ同じだ。 政権交代実現と同列かそれ以上でのりピー事件を過剰に報道するメディア、とくにテレビは一体どーなってるのか?18日は朝から晩までどの局ものりピーの涙の会見ばかりだった。コメンテーターも一律にのりピーを責めていたが、そのなかで某女性コメンテーターが「うっすら化粧して会見に臨むのはいかがなものか」などと的はずれなコメントを発っしていたのには驚きあきれた。そのへんの主婦じゃあるまいしすっぴんで会見するわけがないじゃないか。くだんのコメンテーターも指摘するように「うっすら」なのだ。会見での謝罪の言葉は事前に練習したものだ、とまるで鬼の首でも取ったかのように得意げに報じていた。練習してどこが悪いのだ。これに限らずほとんどのコメンテーターの発言はのりピーのプライバシー侵害又は名誉毀損に抵触しかねないものばかりだ。保釈金を半分ずつ支払ったために釈放が一日遅れたことに対して「なぜ一括支払わないのか。常識では考えられない。イの一番に子供に会いたいと思うのが親心のはず」などと宣う。のりピーは取材陣の居ない病室で我が子と対面したというじゃないか。取材の暴力というものをメディア側は考えたことがあるんだろーか。涙の謝罪会見はわずか10分程度だったがテレビは各局がそのシーンを繰り返し放送した。この繰り返しこそがテレビの特徴でありくせものなのだ。視聴者は頭下げシーンを脳裏に焼き付けてしまう。そして、彼女が「余程の罪を犯した」と錯覚することになる。しかし、よく考えるとのりピーは他人に迷惑をかけたわけではなかった。微量とはいえ覚醒剤の使用は決して許されることではないがもし彼女が一般人であり初犯ならここまで話は大きくならなかっただろう。人気女優なるがゆえの“有名税”にしてはあまりにも高額ではないだろうか。 40日という長期にわたる拘留とメディアによる批判を受けたのりピーはすでに社会的制裁を十分に受けている、と言えやしないか。しかし、私はこの「社会的制裁」こそが大問題だとあえて言いたい。 彼女は今後、法の裁きを受け、さらに覚醒剤の使用から完全におさらばし「自分に負けない」人生を歩むことになる。 執行猶予つきならタレントとしての復帰はあり得るらしい。かつてのヒットソング「碧いうさぎ」を聴いてみたいと思うのは私だけではないはず。そして、麻薬撲滅キャンペーンの政府広報CMに再度登場して「覚醒剤にはまらないで!」と訴えてもらいたい。これこそ真に迫る訴求力満点のCMになるはず。
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