■ 「月刊文芸春秋が教えない昭和史 」No.2
2009年03月28日(土)
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「太平洋戦争」という呼び方は戦勝国であるアメリカが付けた名称であり当時、日本側の呼称は「大東亜戦争」だった。日本の目的は「大東亜」つまり欧米列強の植民地化となっている東アジア諸国の解放と日本を含めた「共栄圏」の樹立であった。日米開戦当時、大川周明は小冊子「米英東亜侵略史」で日本はどうあるべきかを語っている。 「この戦争はもとより政府が宣言したように、直接には支那事変のために戦われるものに相違ありません。しかも支那事変の完遂は東亜新秩序実現のため、すなわち亜細亜復興のためであります。亜細亜復興は、世界新秩序実現のため、すなわち人類のいっそう高き生活の実現のためであります。世界史は、この日米戦争なくしては、そして日米戦争における日本の勝利なくしては、決して新しき段階を上り得ないのであります」(「日米開戦の真実」佐藤優著・小学館20ページ) 大川周明は東京裁判のA級戦犯となり法廷で前席の東條英機の頭を叩いたことが発端となり精神病院に入院させられ病死している。もともと、奇癖のある大川だから“頭叩き”が精神異常のなせる技でなく単なるパフォーマンスだったのかも知れない。いずれにしても法廷では大川の思想性は裁かれなかった。私はアメリカ政府が恣意的に大川の「米英東和侵略史」を抹殺しようとした、という説を支持する。抹殺せざるを得ないほどの内容だからである。
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