■ “最年長”について
2008年12月25日(木)
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「最年長のマッドさんに乾杯の音頭を」と突然名指しされるケースがこのところ、いくつか続いた。まっ、忘年会の席のことだからいちいち、反応することもないのだが、やはり“最年長”にはひっかかる。1939年(昭和14年)7月生まれだからまだ大台には乗らずれっきとした60台なのだが...。多分、指名する方は高齢者を敬うという意味からなのだろうから本人が多少傷ついていることなどまったく気付かず“最年長”という言葉を発しているのだと思う。
以前、東京新聞の「本音のコラム」の週一回の連載執筆を依頼された時、7人の執筆者の紹介記事が載ったのだが、私を除く他の6人の年齢がたしか、40台~50台だったことを思い出す。この時も“最年長”だった。
新年早々から始まる連載企画「許す(仮称)」の一つとして「謝罪」について読売新聞の記者の取材を受けたのだが、この時も最後に「ところでマッドさん、おいくつですか?」とやられ、私は即座に「トシは不問、ということにしてくれませんか」と少しばかり気色ばんで不愉快そうな表情で答えた。「社の方針なもんで...。わかりました」と記者は言い訳をしつつ、年齢は付記しないことを約束した。
忘年会の帰り道に考えた。もしかすると、オレは高齢であることにコンプレックスを感じているんだろーか、と。「老人」という判を押されるのが嫌なんだろーか。そう言えば、このところ70台半ばにして鬼籍に入った有名人の多いことよ。緒方拳さん、筑紫哲也さん等だ。そんな時、私は思わず74歳-69=5、あと5年かぁ、などとつぶやきながら余命の年数を試算する。まっ、今のところ持病もなく特別の難病を患っているわけでもないから、このまま行けば5年以上は持つだろう、と楽観視している。
そんな折り、痛ましいニュースが入ってきた。元タレントの飯島愛さんの36歳という若い死だ。腎盂炎を患っていたそうだが、突然の他界に多くの庶民が「えっ、ホント?」と絶句した。私もまったく同じだ。歯に絹着せない本音トークに少なからず「いいなぁ」と感じていただけに残念でならない。彼女のほぼ倍も生きてきた私は高齢であることを誰かに感謝しなければイカンとつくづく思った次第。
ところでブログ「アクセスジャーナル」の最新号(12月25日)に「老いの知恵」という一文が載っているのを見つけて、ちょっぴり溜飲が下がった。中国の故事を引用しつつ老人の知恵を大事にしなければアカン、という話。来年7月をもって70になる私だが、それ以降、堂々と“最年長”をひけらかそうかな、と密かに思い始めたところだ。
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