■ 東ティモール騒乱のカラクリ
2006年05月27日(土)
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| ここのところ、ばかに「東ティモール紛争」が新聞の国際欄などを賑わしている。 ではいったい「東ティモール」ってどこ? この問いに即座に地図上の位置を指し示せる人は少ないんじゃなかろうか。ましてや、紛争の真相が何であるかを的確に理解している人もこれまた非常に少ないはず。朝日新聞(5月25日)のキーワード欄に「東ティモール」についての簡単な説明があるので紹介しよう。 「16世紀にポルトガルの植民地となり、42~45年日本軍が占領。74年ポルトガルが撤退すると、独立派とインドネシアとの併合派との間で内戦になり、76年7月インドネシアが併合した。99年の住民投票を経て、02年5月に独立。人口推定約95万人。公用語はポルトガル語とテトゥン語。カトリック教徒が90%を占める」 なるほど、内戦が再燃してるわけだ。でも、ちょっと待てよ、なぜオーストラリア軍が鎮静化のために派遣されてるんだろう? 実はオーストラリアと東ティモール政府間でティモール海境界条約が調印され、懸案であった油田とガス田開発に道筋が開かれたばかり。てなわけでオーストラリアにしてみれば油田確保という重要な使命があるのだ。 もう一つ、これだけは知っておかなければならないことがある。1975年12月、インドネシアが東ティモールを侵略した時、当時の米大統領フォードと国務長官キッシンジャーはスハルト大統領に米国製の武器を使う許可を与えていた。米国の法律では違反行為にあたるものだった。その後、インドネシア軍は人口60~70万人の東ティモールの市民20万人以上を虐殺した、とアムネスティ・インターナショナルは推定。ワシントンは否定しているけれど米国のインドネシアに対する軍事援助は続けられた。 『アメリカの陰謀とヘンリー・キッシンジャー』(クリストファー・ヒッチンス著 集英社)という本にキッシンジャーの悪魔ぶりが事細かに書かれている。その書評(朝日新聞ASIA NETWORK asahi.com AAN主査 川崎 剛2001年)の一部を紹介しよう。
「ポルトガルの支配が突然終わり、政治的な空白に陥っていた東ティモールに、インドネシア軍が侵攻した1975年12月7日、フォード米大統領とキッシンジャー国務長官は前日までのインドネシア公式訪問を終えてハワイに向かっていた。米政権は、この訪問でスハルト大統領に侵攻について暗黙の了解を与えたとみなされ ている。(軍事援助を約束したという観測もある)。引用したのは、キッシンジャーが著書『外交』を出版した記者会見(95年8月11日)で、『外交』ではまったく触れられていない東チモール問題についての質問を受け、当惑している様子である。国務省のスタッフが東チティモール問題の文書を関係大使館に流したことをキッシンジャーが非難したことについては、情報公開法による資料請求で明らかになっている。」
「著者ヒッチンスは米誌『Vanity Fair』などを舞台に活動しているジャーナリストである。この本は、ヒッチンスが新旧資料を解釈し、キッシンジャーを『市民の大量殺戮』『暗殺や誘拐』『陰謀』などの罪に問うことが出来ると判断した事例を検証したものである。その現場は、インドシナ、東ティモール、バングラデシュ、キプロス、ギリシャ、チリなど。ピノチェト元チリ大統領がチリのクーデター事件で実行した人権侵害をスペインの検察官が訴追できるという、時と国境を超えて過去の人権侵害を再審査出来る時代になったことで、ヒッチンスは、キッシンジャーの行為のうち、少なくともこれだけが、訴追可能だと強調している。」
さてさていかがだろうか。東ティモールがはるか遠くの南洋の島国だから私には関係ない、などとおっしゃらずにキッシンジャーという"悪魔"の存在をしっかりと認識したほうがいいと思うよ。
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