本音のコラム

■ たそがれ新党 2006年01月29日(日) 
 43歳という"若さを誇る"前原民主党代表は党内の地盤のゆるさにもましてポスト小泉、後継者選びの自民党お得意の茶番劇に観客を奪われた焦りか無謀とも思える"党内若返り"を打ち出した。なんと衆院議員「65歳」、参院議員「70歳」の定年制、つまり能力の如何に関わらず自動的に引退しろ、というのだ。だてに年をとっているのではなくそれなりに経験も豊富なはずの議員を"老害"扱いする裏には自民党の都市部における若年層の支持の拡大に危機感を覚えたからなのだろうがこれはあきらかに無茶な話だ。プロスポーツならともかく政治家までが若ければいいというものではないことくらいわからないのだろうか。そこで抜本的な改革案をそっと知らせよう。前原さん、よく聞くがいい。まず民主党は二つに割ったらいい。一つは45歳までの議員、もう一つは60歳以上年齢制限なし。党首として中曽根大勲位(87歳)を担ぎ出す。次期閣僚は幹事長に石原慎太郎(72歳)都知事。厚生労働大臣に95歳でなおかくしゃくとしている聖路加国際病院名誉院長・理事長の日野原重明先生。外務大臣は読売新聞のナベツネこと渡邊恒雄(79歳)会長。総務大臣は海老沢勝二(71歳)前NHK会長。文部科学大臣はインターネットの仮想政党"老人党"を主宰している作家・精神科医のなだいなだ(76歳)さん。防衛庁長官はゴリゴリの"護憲派"、土井たか子(78歳)社民党前代表。党名を広く募集する。60歳以上の日本国民ならば誰でも応募OK。「シルバーシー党」「たそがれ新党」などが有力候補にあがっている。あと17年経ったら前原さんも入党の資格が得られますよ


■ 拝啓、正高信男様 2006年01月22日(日) 
 正高信男氏は京大霊長類研究所の教授である。その正高教授に私は昨年11月、ある一件について問い質しの手紙を出したところ一ヶ月経っても返事をいただけないので配達証明付きの督促状を送った。年が明け一月も中旬になったが残念ながら返事はない。
 なぜ私がこれほどまでにこだわっているかと言えば正高教授のテレビでの発言がある人の名誉を著しく毀損していると考えたからなのだ。正高教授への私の手紙の内容を骨子のみ、あえてここに公開したいと思う。
「朝日ニュースター(05.11.15放送)『ニュースの深層"ITでヒトはサル化する?"』に出演の正高さんの植草(一秀)氏に関する件の発言の中で看過しがたい一言がありました。(中略)最近のギャルの動向について話が進む中で『電車の中でさえ床に座り込んでパンツが丸見えでも気にかけない。(手鏡事件の)植草さんなどは電車の中で見ることができちゃう』と冗談交じりに話された...(中略)正高さんは明らかに植草氏を犯罪者と見なしたものとの印象を私は受けました。おそらく視聴者も同様だと思います。ただし、私は植草事件は『警察のデッチ上げ』であり、さらに言えば『小泉・竹中の言論弾圧の疑いが濃い』、と考えています。」
 私は植草氏の名誉回復はもちろんのこと、権力による言論弾圧に強く抗議する、という観点から正高教授に「植草問題の真相」についての資料を送り同時にテレビでの発言の真意を問い質した。正高教授の返事を待ちたい。

(東京新聞「本音のコラム」06.1.22)

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★<特別アメリカ報告>原爆投下の責任を問う講演
 ミシガン大学の日本研究センター主催の講演に講師として招かれ「原爆投下の責任を問う」というテーマで話をした。(1月19日)
 最大収容人数、約80名の教室はほぼ満席となり大盛況だった。はじめに「CIA関係の方は恐れ入りますが今直ぐ外に出て下さい」とジョークをかましたところ、笑いを誘ったのでリラックスムードでスタートすることができた。しかし、このジョークはかなり”ヤバイ”ものだということが後で分かった。そのワケは追々、公開して行くつもり。密かに期待していただきたい。
 わずか2泊3日の短い滞在だったけれど貴重な情報を得る事ができたという点で私にとって大変
意義のあるものだった。そして、とりあえず、ミシガン州立刑務所への収監は免れたのであります。


■ “元敵国”での講演 2006年01月15日(日) 
 “敵国”とは物騒な物言いだが確かに60年前、米国は日本にとって紛れもなく敵国だった。「へぇ、そうだったの?」とすっとんきょうなリアクションの新成人も私のまわりにいないわけではない。あの戦争、つまり太平洋戦争は遠くなりにけり、なのだ。1945年終戦の年に小学一年生だった私は疎開先で米軍戦闘機の機銃掃射を体験している。バリバリバリと言う落雷のような耳をつんざく音を今でも忘れない。ヒュルヒュルヒュルと言う焼夷弾の落下音も脳裏にこびりついている。B29爆撃機めがけて発射する高射砲の重くもの悲しいズドンと言う音もついこの間のことのように思い出される。警戒警報のサイレンとともに待避した床下に掘られた防空壕。あの寒々とした狭い空間とカビくさい土の臭い。バケツにまたがって用を足したことなど数え上げたらキリがないほどのネガティブな記憶がいっぱいだ。
 子供心に受けた深い戦争の傷について私は何と”元敵国”の米国でこの19日、話をするチャンスを得ることになった。1年ほど前、私のパロディー・ファンでもあるミシガン大学日本研究センター所長のマーク・D・ウエスト教授から「米国各地または海外から日本の専門家を招いて様々なトピックで話をしていただくもの。イチロー選手にも依頼しましたが残念ながら都合がつかなかった。マッドさんのパロディーの話、期待しています」と直々に講演の誘いがあった。当然ながら私は「原爆投下の責任はトルーマンにあり!」を語るつもりだ。”元敵国”の大学生たちにどこまで通じるかは予測がつかないけれど…。

(東京新聞「本音のコラム」06.1.15)


■ 「夕凪の街…」の罪  2006年01月08日(日) 
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 韓国語版「夕凪の街 桜の国」の前書きに「原爆投下が戦争を終わらせた」という一文を追加させた作者、こうの史代さんの判断に対して私は本コラム(11月13日)で批判した。その後、私はこうのさん宛に日本の版元のF社気付けで手紙を書いたところ本人ではなく編集部の担当から電話による釈明があった。「作者の要請で開封し読みました。実は前書きではなく帯に入れることになっています」「帯でも変わりはないと思いますよ。第一、余計に目立ちます」「文章の終わりに韓国の出版社の名前を記しますから問題はないとの見解です」「読者は当然、作者が同意した、と考えますよ」。その後、韓国語版が送られてきた。裏扉に、もちろんハングルでこう書かれている。「広島の原爆投下は戦争を早く終わらせるための決定だったが、この本はその時の日本で犠牲になった人々の苦痛と悲しみに関する物語であり、また、生きることに対する希望のメッセージである。文学世界社」。
 表ではなく裏にしたあたりは初めの意気込みに比べて少し後退した感じがしないでもない。私の抗議を反映したかどうかは定かではないが…。で、私は記事を書いた朝日新聞のS記者宛に確認の手紙を書いた。こちらも本人ではなく広報部長から返事が来た。「加筆部分は、取材時点では『帯』ではなく、前書きに入れることになっていました」。F社の「帯に入れることになっていた」という説明は言い逃れの虚言、ということになる。こうのさんに言いたい。「歴史の真相をしっかり把握していただきたい」と。

(東京新聞「本音のコラム」06/1/8)

★昨年11月13日の当コラムで当件について触れています。


■ プロジェクトX 2006年01月01日(日) 

grp0101161349.jpg 500×500 67K 敵国が日本をどう見ているかを知ることはけっこう重要なことだ。60年前、日本の大敗北の時、当時の週刊誌TIMEの表紙を通じてアメリカの本音を知ることが出来る。
 創刊以来、今年で約80、通算四1000号を越えるTIMEの過去の記事のすべてを最近、ネットで見られる(有料)ようになった。その中でも特に表紙が面白い。第一、こちらは無料なのがいい。
 私はヒマにあかして4000からの表紙を年代別にすべてチェックしてみた。思わぬ発見があり驚いたりナルホドと納得したりで時間の経つのを忘れる。日露戦争の立役者、東郷平八郎元帥がなんと早くも創刊3年目の1926年に登場している。富国強兵の日本にアメリカが脅威を感じるようになった証だ。昭和天皇の登場回数は四回だが1936年にはスターリン、蒋介石、そして満州国の執政、清朝最後の皇帝である「宣統帝」溥儀(ふぎ)とともに初登場している。3回目は終戦の年の5月に軍服姿で登場。日本人にとって最も衝撃的な年は何と言っても1945年だが終戦の直前号に日本列島大空襲の指揮をとり武勲をたてた職業軍人、ルメイ将軍が苦み走った表情で葉巻タバコをくわえて登場している。余談だが、佐藤内閣は60万人という多くの非戦闘員を容赦なく殺した冷酷無比な将軍に対して何をトチ狂ったか勲章を授与している。情けないを通り越してあきれてしまう。
 進駐軍の総司令官となったマッカーサー元帥は8月27日号で「戦争は成功した。地獄に堕ちたジャップは降伏した」と勝ち誇っているが、マッカーサーは後に「日本の敗色は濃厚で、原爆投下はまったく不必要だった」と語り、さらに「(日本本土侵攻により)米兵を死なせないために、もはや不可欠ではなくなっていた兵器(原爆)を使用することによって世界の世論に波紋を広げることはさけるべきだと考えていた」と1961年の書簡で語っている。そのマッカーサーが終戦直後には”ジャップ”と汚くののしっていたのだ。翌週、中国国民党総統、蒋介石が堂々と表紙を飾った。これは何を意味するか?そもそも、アメリカは中国大陸で蒋介石政権を裏で支え、多額の軍事費はもちろんフライング・タイガーの異名を取る戦闘機部隊を送り込んだ。日本軍と戦闘を交えていた米軍パイロットは明らかに義勇兵だった。蒋介石政権はアメリカの傀儡(かいらい)だった。そうでなければ東洋の一総統が表紙を飾るわけがない。
 1945年のTIMEは欧州連合軍総司令官のアイゼンハウアー元帥やルーズベルトの急逝で棚ボタ式に大統領になったトルーマンなどが登場するが中でも「ヒットラーの顔に赤いバッテン」の表紙(5月7日号)はナチス・ドイツへの憎悪感がストレートに出ていて衝撃的だ。よほど憎たらしかったのだろうが、いささか子供じみた表現ではないだろうか、と冷ややかに笑ってしまう。ところが実は笑ってばかりはいられない。なななんと、「日の丸に黒いバッテン」の表紙(8月20日号)がポーンと目に入った!一体全体どうなってるのだ、と柄にもなくちょっぴり腰が引けた。しかし、ちょっと待てよ。なぜ天皇の顔にバツではないのか?ここがまさに敵国の本音が見て取れるポイントだ。戦後60年間、我が国はアメリカのコントロール下に組み込まれ、ホワイトハウスお墨付きの「天皇制は永久不滅」なんであります!

(東京新聞「本音のコラム」06.1.1)


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