パロディー裁判「盗作かパロディーか」 数人のスキーヤーが雪面を滑降する写真にスノータイヤを合成した私のパロディー作品が元の写真家からクレームがつき、訴訟に発展。 裁判が始まった1971年から16年経った 1987年、最高裁の高裁差し戻し・控訴審での和解が成立、結審して以来、24年経った。トータルで2011年、今年でなんと約40年の月日が流れた。あれから約半世紀である。 当時は判決の度に新聞の社会面のトップを大きく飾るほどの話題の裁判であり、法曹界では「戦後最大の著作権裁判」と位置づけられているほどのものだ。 なぜ、今「パロディー裁判」なのか?その理由は森・小泉政権時代から「権力批判の封じ込み」が強くなり、政治風刺も矢面に立たされているという状況が顕著となりパロディーが封印されつつあることへの危惧と怒りを覚えたからなのだ。 戦後、我が国の政治はアメリカ政府によって監視・コントロールされてきたがここへきてその動きが激しくなっている。マスメディアの自主規制と偏向報道を見るにつけ、その堕落ぶりは手の付けようがないほどだ。 権力に楯突くパロディーは肩身が狭くなっている。いや、その存在すらも危うい。 今こそ、パロディー裁判の本質を理解し、政治パロディーを創る若き表現者が多数現れることを願って、あえて昔の話をぶり返すこととした。 |
「無断合成はダメ」?(1) | 2011.3.13 |